2012年12月31日月曜日

シカゴ / シカゴの軌跡


Chicago Transit Authority(1969年リリース)
①Introduction ②Does Anybody Really Know What Time It Is ③Beginnings ④Questions 67 and 68 ⑤Listen ⑥Poem 58 ⑦Free Form Guitar ⑧South California Purples ⑨I'm a Man ⑩Prologue, August 29, 1968 ⑪Someday(August 29, 1968) ⑫Liberation

80年代を中学生、高校生で過ごした俺みたいな者にとって、シカゴといえば「素直になれなくて(Hard To Say I'm Sorry)」や「君こそすべて(You're The Inspiration)」などのメロウなラヴソングをヒットさせたバンドというイメージが強い。70年代後半からの彼らはセールス的にも低迷していて、1981年に出た『グレイテスト・ヒッツ・Vol.2』は全米アルバムチャート171位が最高位だというのだから、その翳り具合が伺えるというものだ。だから「素直になれなくて」が全米No.1になった時にはやたらと「シカゴ復活」と言われていたのを覚えている。同曲が入った『シカゴ16』はリアルタイムで聴いてかなり好きなアルバムだった。確かに「素直~」や「ラヴ・ミー・トゥモロウ」などのバラード風な曲を目当てで聴いていたけど、ホーンセクションが入った「フォロー・ミー」という曲が好きで、後にそのホーンセクションを多用しているのが彼らの本来の持ち味で、AORなバラードバンドではないということを知った。何かのロック本などで「ブラス・ロック」という言葉で紹介されていたのだ。

シカゴは1967年に結成され、当初はビッグ・シングというバンド名を名乗っていた。当初からロックンロールとホーン・セクションの融合を目指していて、多くのカバー曲をライヴで展開していたらしい。レコード契約の際にバンド名をシカゴ・トランジット・オーソリティとしてリリースしたのがこのデビュー・アルバムだ。新人バンドにも関わらず、アナログLP2枚組でリリースというのは異例のことだと思う。プロデューサーのジェームス・ガルシオがすでにホーンを取り入れて成功していたブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのプロデュースも行っていたからだろうか?

そうは言っても、シカゴを結成したのはギターの故テリー・キャスで、確かにホーンは派手に入っているものの、それと同じぐらい彼のギターが活躍しまくっている。内容も政治的なものが多いらしく、残念ながら俺は歌詞を読んだことがないので内容には言及できないが、雰囲気的に⑩以降はそんな感じがする。⑥はテリーのギター・ソロが多く、ジミ・ヘンドリックスが彼のプレイに痺れたというのも頷ける。そして⑦、このフィードバック多用のギター・ソロは、今でいうならソニック・ユースのサーストン・ムーアが出すようなノイズ・ソロのような趣がある。80年代からの彼らのイメージを持って聴くとまったく別のバンドだと思いたくなる。そしてベスト盤でも必ず収録される②や④など、早くも代表曲が生まれているところも見逃せない。

シカゴ・トランジット・オーソリティはその名の通りシカゴ交通局から訴えられて、2ndアルバム以降はバンド名を単純にシカゴにして、ヒットを連発していく。ちなみにこのアルバムはアナログ時代は2枚組だったわけだが、続く『シカゴと23の誓い』、そして3rdアルバムとなる『シカゴⅢ』もアナログでは2枚組というボリューム。さらに言うなら4作目のライヴ盤『アット・カーネギー・ホール』にいたっては4枚組という、そのころの創作力の凄まじさに今でも俺は驚いてしまう。その反動なのか、段々とポップになっていき、テリー・キャスを失ったバンドは落ち目になっていったのかなと思ってしまう。(h)

【イチオシの曲】Does Anybody Really Know What Time It Is
「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」という邦題が昔から凄いよなと思っていた。歌詞を読むと特に小難しいことは言ってないようだけど、まあ今風に言うならヘラヘラしてないで現実を直視しろよってことなのかな。

2012年12月23日日曜日

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ / The Red Hot Chili Peppers


The Red Hot Chili Peppers(1984年リリース)
①True Men Don't Kill Coyotes ②Baby Appeal ③Buckle Down ④Get Up And Jump ⑤Why Don't You Love Me ⑥Green Heaven ⑦Mommy Where's Daddy ⑧Out In L.A. ⑨Police Helicopter ⑩You Always Sing ⑪Grand Pappy Du Plenty

今ではスタジアム級のロック・バンドとなっているレッチリだが、多くの人はこのアルバムを後追いで聴いているものと思う。俺もそうだ。彼らがこのデビュー・アルバムをリリースしたのは1984年のこと。当時俺は高校1年生で、日ごろ聴いていたものは当時のヒット曲ばかりだった。この年に大ヒットしたアルバムといえばプリンスの『パープル・レイン』、ヴァン・ヘイレン『1984』、イエス『ロンリー・ハート(90125)』、U2『焔』、過去にここでも取り上げたスタイル・カウンシル『カフェ・ブリュ』やフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド『プレジャードーム』などがあった。これらのヒット・アルバムは日本でも雑誌などで紹介され、「ベスト・ヒット・USA」でPVなども見た。これらメインストリームの音楽を聴いていたのだから、日本盤もでなければ新人のミュージシャンであった彼らのアルバムの存在など知る由もなかったってことだ。

レッチリのオリジナル・メンバーはアンソニー・キーディス(Vo)、フリー(Bass)、ヒレル・スロヴァク(g)、そしてジャック・アイアンズ(dr)の4人であった。1983年にはEMIと契約を交わすが、その時点でヒレルとジャックの2人は他のバンドにヘルプで参加しており、そのバンドが他のレコード会社と先に契約していたため、EMIとの契約が出来なかった。そんな経緯からこのアルバムにはギターとドラムに別のミュージシャンを入れて録音している。ちなみにヒレルは2ndアルバムから、そしてジャックは3rdアルバムから参加し、3枚目の『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』が唯一のオリジナル・メンバーによる録音となった(この後ヒレルがオーヴァードーズで死亡するため、オリジナル・メンバーで残したアルバムは1枚のみということ)。さて、このアルバムだが、プロデュースはギャング・オブ・フォーのアンディ・ギル。アンソニーだかフリーだか忘れてしまったが、影響を受けたバンドにギャング・オブ・フォーがあったため、初のアルバムをリスペクトする人にプロデュースしてもらったはずではあったが、2人が考えていた音と、アンディの「聴きやすい音」という作りに乖離があり、2人にとっては不満の残るものとなってしまったようだ。エコーの使い方などは80年代ぽくて、そこに古さが垣間見えてしまうのがなんとも残念。

しかし楽曲自体は悪くないと思う。オリジナル・メンバー4人の共作という⑧は後々までライヴで披露されているし、元々はフリーのベースとアンソニーのラップの相性がよかったことがきっかけで始まったバンドであり、アンソニーのラップは早くもデビュー・アルバムで存分に聴くことができる。しかしこのアルバムで最も活躍しているのはフリーで、何気に聴いていてもついベースに耳がいってしまうぐらい目立っている。ちなみにベース経験の無かったフリーにプレイを教え込んだのはヒレル・スロヴァクだったそうだ。しかしそうは言っても、1984年というとラップはメインストリームではまだ市民権を得ていない。ましてや白人がロックに取り入れるなんてのはマイナーな存在だった。ビースティ・ボーイズがブレイクしたのが1987年だったことを考えると、あまりにも「早すぎる」アルバムだったわけだ。

参考までに、1986年に刊行された「世界自主制作レコードカタログ」という本が手元にあるのだが、ここに記載されたこのアルバムについての紹介文を見ても、アンディ・ギルのプロデュースにしてはオーソドックスな演奏で音がオフ・マイクで輪郭がぼやけていると書かれている。アナログの時代からそういう感じだったようだ。蛇足だが「LA出身の変態4人組」と書かれていて、ハチャメチャぶりもすでに伝わっていたようだ。

1988年にレッチリは『アビー・ロード・EP』をリリースしていて、あのアビー・ロードをほぼ全裸で渡っているジャケットは輸入盤屋でも目にすることが多くなって、名前が徐々に浸透していったのを覚えている。しかし俺は1989年の『母乳』で初めて彼らの曲を聴いたのだけど、ファンキーでロックな音にラップが乗った独特のノリがいまいちついていけなかった。その当時は「ミクスチャー・ロック」というジャンルで、ジェーンズ・アディスクションやフィッシュボーンなどと有名になっていった。そして1991年の『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』で世界的にブレイクしてからはもはや説明するまでもないだろう。(h)

【イチオシの曲】True Men Don't Kill Coyotes
本来ならオリジナル・メンバーによる"Out In L.A."を持ってくるべきかもしれないが、ここは記念すべきアルバムの1曲目を推したい。フリーのスラップ・ベースのイントロからアンソニーのラップに導かれるこの曲ではPVもあるらしい。「本当の男はコヨーテを殺さない」というのはどういうことかよく分からないけど、アンソニーの男根主義的な思想なのかなと勝手に想像している。

2012年12月16日日曜日

ソニック・ユース / Sonic Youth


Sonic Youth(1982年リリース)
①The Burning Spear ②I Dreamed I Dream ③She Is Not Alone ④I Don't Want To Push It ⑤The Good And The Bad
以下CD追加曲 ⑥Hard Work ⑦Where The Red Fern Grows ⑧The Burning Spear ⑨Cosmopolitan Girl ⑩Loud And Soft ⑪Destroyer ⑫She Is Not Alone ⑬Where The Red Fern Grows

「いちばん好きなバンド」と聞かれれば俺は大抵ソニック・ユースと答えてきた。1988年にインディー時代の大傑作『デイドリーム・ネイション』を訳もわからず買って聴いて以来、常にリアルタイムで聴いてきた数少ないバンドだからだ。1990年にはメジャーレーベルのゲフィン・レコードへ移籍し、それを機に俺も彼らのレコードを集めるようになったのだけど、このデビュー・アルバムを聴くことができたのは再発された2006年になってからだった。聴き始めのころには何度かレコード屋でこのアルバムを手に取っているが、その時には買わなかったのだ。そのために聴けるようになったのが10年以上も待つことになるとは・・・。

ソニック・ユースは1981年にサーストン・ムーアとキム・ゴードンによってに結成された。これは何でも同年の6月にニューヨークで行われたポスト・ノー・ウェイヴ系のアーチストたちによるイベント「Noise Fest」に出演するための即席バンドらしく、同じイベントに別のバンドで出演していたリー・ラナルドが加入していなかったら果たしてグループはその後も存続していたのか謎である。このイベントの音源を聴いてみると曲としての体裁はあまりなく、即興的なノイズパフォーマンスに終始しているが、7月ぐらいからは徐々に固定の曲が出来ていたようで、このアルバムは12月に録音をしている。そして当時のポスト・ノー・ウェイヴの中心的な存在でもあったグレン・ブランカの興したNeutral というレーベルからリリースされたのがこの"Sonic Youth"だ。このアルバムは後に彼らが所属するSSTレコードから再発されたり、イギリスでの配給先であるBlast First からも再リリースされたことがある。俺が店頭で見たのはきっとそのどちらかのレーベルからのものだっただろう。その時には買わずに後に中古盤で見かけたときは9800円という値段がついていた・・・。

2006年になってようやくゲフィンから再発された際には、1981年9月のライヴ音源がボーナストラックとして追加された。それはすなわちこのアルバムを録音するよりも前の時期のライヴであって、このアルバムに至る行程も垣間見える。まず⑥は④のプロトタイプで、⑦は②のインストゥルメンタル・バージョンとなっている。⑩は⑤の後半部分だし、しかもこれらのライヴは断片的にかつて彼らがカセットからリリースした"Sonic Death"に収録されているものと同じだった。これらのライヴ音源も踏まえつつこのアルバムを聴くと、すでに軸となる音が出来上がっていて、それは後年も変わっていないというのがよく分かる。ただ、彼らの特徴でもある変則チューニングがこのアルバムからは感じられない気がするのだがどうなんだろう?俺はあまり楽器のことになると分からなくてなんとも言えないが。だから2枚目の"Confusion is Sex"を初めて聴いた時の難解な感じが、このアルバムからは感じられずむしろ聴きやすい。しかしどうせならボーナストラックとしてこのアルバムのカセットテープ盤のB面に入っていた①から⑤までの曲を逆転再生したトラックを入れて欲しかった。曲名まで"raepS gninruB ehT"みたいな表記だったみたい(もちろん文字も逆)。

ところでソニック・ユースのディスコグラフィを作ろうと思うと、これほど手間のかかるバンドはいないのではないだろうかと思う。オフィシャル・ブートレグを数多くリリースし、当時のインディー・レーベルのコンピレーションに曲を提供したり、それをレーベルからリリースしたり、個人でリリースしたりと、80年代の彼らはかなり好きにやってきたと思う。ゲフィン・レコードに移籍してからもその自由を得ることができたがそれまでほど活発ではなく、せいぜいSYRシリーズぐらい。だが、そういう自由なやり方があるということを教えてくれたのがソニック・ユースであり、多くのミュージシャンにも影響を与えているのは間違いない。サーストンとキムの夫婦が離婚してしまったことで今はバンドとしての活動が止まってしまったが、それでも解散などと宣言しないで、かつてのように変なレコードを量産してほしいと思ってしまう。(h)

【イチオシの曲】I Dreamed I Dream
まるでテレヴィジョンの"The Dream's Dream"へのオマージュのようなタイトルだが、もともとインストゥルメンタルだった曲に歌詞というよりは言葉をのっけただけのこの曲は初期の中でもかなりクオリティが高いと思う。ゲフィン・レコードからインディ時代のアルバムのベスト盤が出た時に、まだCD化されていなかったこのアルバムから唯一収録されたことからもその評価が窺がえる。

2012年12月9日日曜日

ザ・ブーム / ア・ピースタイム・ブーム


THE BOOM / A PEACETIME BOOM(1989年リリース)
①CHICKEN CHILD ②SUPER STRONG GIRL ③都市バス ④きっと愛してる ⑤星のラブレター ⑥君はTVっ子 ⑦おりこうさん ⑧不思議なパワー ⑨雨の日風の日 ⑩ないないないの国 ⑪虹が出たなら

自分自身がなぜこれほど音楽が好きになったのかはよくわからない。ただひとつだけ言えることは、音楽好きになったお陰でこれまで様々な出会いがあったし、今ここにどうしようもない文章を書いている。ところで、ついさっきまで俺の成長過程において家族からの音楽的影響は全くないと思っていた。だがしかし今回この文章を書くにあたりよくよく考えてみると、このザ・ブームは二児の母になった今も福山雅治のファンでコンサートにも通う姉から教えてもらったことを再認識した。この場をお借りして姉に謝辞を述べさせていただきたい。ありがとう。でも、この感謝の言葉は決して本人に伝わることはないだろうし、直接伝えるつもりもないから気にしないで。

俺が中学生の頃に姉がカースレテオで流してたテープに入っていた②や⑥は、そこで歌われる歌詞こそ意味不明だったが、そのリズムとキャッチーなメロディでイッパツで好きになった。当時は既に3rdアルバム『JAPANESKA』が発売されていて、姉に借りた1stから3rd、ミニアルバム『D.E.M.O.』の4枚のCDをテープにダビングし繰り返し聴いた。2ndアルバム『サイレンのおひさま』収録の「なし」や、3rdアルバム収録の「過食症の君と拒食症の僕」あたりのコミックバンド的というか、ラブソングを歪曲した表現の歌詞がまだウブな俺にはたまらなく新鮮で刺激的だった。非リアの俺からすればチャートに入るような曲にハメ込まれた「愛」だの「恋」だのいう歌詞には全く共感することができず、疎外感しかなかったからだ。それでも「愛」や「恋」のことをストレートに歌っている④や⑤、⑪の歌詞は抵抗なく入ってきた。あばたもえくぼってヤツか。全然違うか。

矢野顕子とコラボするなど順調にステップアップしていったザ・ブーム。3rdアルバムでワールドミュージックというか沖縄的な表現を取り入れるようになり、4thアルバム『思春期』収録の「島唄」で大ブレイクする。しかし俺の好きなザ・ブームの要素は、俺がイメージする「ホコ天」や「軽音楽部」的なスカっぽいリズムと軽やかなギターによるサウンド、そしてそのどうしようもない歌詞だった。③や⑦の歌詞も、理解できそうで理解できない加減がツボにはまった。これらの要素がいい塩梅に詰め込まれていたのがこの1stアルバム『ア・ピースタイム・ブーム』およびそれに続く2ndアルバム『サイレンのおひさま』だった。

ザ・ブームは「島唄」のヒットのお陰で紅白歌合戦出場を果たすまでになるが、一般的には「一発屋」で終わってしまったように思う。一方、俺はといえばちょっと説教臭い歌詞が耳につくようになり、俺の光岡ディオンを奪ったことが決定打となってザ・ブームを聴くことはなくなった。それと前後して、よりどうしようもないことを歌っているメタルに走ることになる。そもそも英語をヒアリングできない時点でメタルに限定されないが。

俺は今でも初期の作品を聴くことはあるが、冒頭に紹介した姉どうだろうか。俺の記憶が確かなら姉は当時、男闘呼組の大ファンで部屋は前田耕陽のポスターだらけだった。なぜ姉がザ・ブームを聴いていたのか未だによくわからない、という謎を残しこの文章を締めさせていただく。この疑問は決して本人に伝わることはないだろうし、直接伝えるつもりもないから気にしないで。(k)

※この文章には一部誇張が含まれています。
※Amazon.co.jpで探したんですが、廃盤のようです。
Wikipediaによると2005年には紙ジャケ&リマスターで再発されているようです。

2012年12月2日日曜日

キング・クリムゾン / クリムゾン・キングの宮殿


King Crimson / In The Court Of The Crimson King(1969年リリース)
①21st Century Schizoid Man including Mirrors ②I Talk To The Wind ③Epitaph including March For No Reason and Tomorrow And Tomorrow ④Moonchild including The Dream and The Illusion ⑤The Court of the Crimson King including The Return Of The Fire Witch and The Dance Of The Puppets

今から10年以上前、たぶん90年代終わりごろだったと思うが、俺は個人サイトを持っていて、今と変わらずアルバムレビューのようなものを書いていた。その中でこの『クリムゾン・キングの宮殿』については「埋葬計画」という冗談的な内容を書いたことがある。なぜそんな文章かというと、90年代に復活していたにも関わらず、キング・クリムゾンというと枕詞のように『宮殿』アルバムが出てくることに少々ウンザリしていたからだ。あとはプログレファンへのちょっとした皮肉というか、そんなのも含めてだったと記憶している。

いわゆる「プログレ」と呼ばれる音楽については高校生の時にすでにイエスの『こわれもの』や『危機』、エマーソン・レイク&パーマーの『タルカス』などを愛聴していたが、キング・クリムゾンはFM番組から録音した①や⑤を知っているだけで、『宮殿』を実際に聴いたのは20歳を超えてからだった。なぜクリムゾンを聴くのがこんなに遅かったのかというと、FM番組などで録音した他の曲(③や第5期の"The Night Watch"や"Book Of Saturday")が今ひとつ俺の琴線に触れなかったからだ。それはともかく『宮殿』であるが、やはり曲単体とアルバムで聴くのでは大きく印象が異なった。①の凶暴的なヴォーカルとフリージャズのような間奏によるスピード感、間髪入れずに続く②ではフルートの音色に導かれて癒される。そして壮大すぎる③でアナログのA面が終わる。そしてB面の④ではヴォーカルパートが終わった後の10分ぐらいの静寂の中のインプロヴィゼーションが一種の試練かもしれない。そして再び壮大な⑤でアルバムは終了。静と動が見事に織り交ざっていて圧倒的で、こんなアルバムはそれまでに聴いたことがなかった。ただ、俺は正直に言うと、③とか④にはいまいちのめり込めないけど、1stアルバムでこれなんだから、やはり末代まで語られても仕方がない。その後はメンバー・チェンジを繰り返し、『太陽と戦慄』までは試行錯誤を感じるからね。

ところで、今もしこのアルバムを買うのであれば俺だったら迷うことなく輸入盤にする。いや、普段から輸入盤のほうが買うのはおおいけど、『宮殿』アルバムは特に。なぜなら①を「21世紀のスキッツォイド・マン」なんて中途半端な邦題で表記されている日本盤なんかを買うのであれば原題のままでいい。①は誰がなんて言おうと「21世紀の精神異常者」というタイトルが秀逸だろう。精神異常者という言葉が不適切だからスキッツォイド・マンにしたのだろうけど、カタカナにすればいいってもんじゃないだろうが。これほどアルバム・ジャケットのインパクトや邦題が与えるイメージがジャストなアルバムはなかったと思っていたのに、それを水で薄められたようなそんな気分になる。先の「埋葬計画」という文章で、俺は「どうせなら①のタイトルはそのままカタカナにしちゃえばいい、そうすればマヌケな感じでみんな聴く気がなくなるだろう」なんて書いてみたのだけど、まさかその10年後ぐらいに本当にそうなっちゃうとは、いやな世の中になったものだ。

『宮殿』は、ビートルズの『アビー・ロード』を首位の座から引き摺り下ろしたとよく言われているが、これは誤認識であって、実際は『レッド・ツェッペリンⅡ』である。それにしてもそんな素晴らしいアルバムたちがチャートを賑わしていたのかと思うと、1969年という年のロックがいろいろな面で変わりつつあるというのを思い知らされる。ビートルズは解散寸前で、クリムゾンとかツェッペリンとかだし、ローリング・ストーンズも自分たちのルーツを見つめなおしてブルースへ回帰していったことで70年代へ突入していったし、他にも数多の新しいグループやミュージシャンが出てきている。そんな中においても『クリムゾン・キングの宮殿』は一際異彩を放っているし、今聴いてもそれは変わらないと思う。そして俺たち日本人にとっては「邦題」も時には重要で、このアルバムはその最たる例だとも思っている。だから「21世紀のスキッツォイド・マン」なんてどこかのゆるキャラみたいな呼び方をするのは俺は好かないのである。

冒頭に書いた「埋葬計画」だが、その文章をどうやって締めたのかというと、途中はなんて書いたかもう忘れてしまったが、『宮殿』を葬ったほうがいい理由をいくつか挙げてた後にこう記した。
「さて、じゃあ聴き納めとして『宮殿』を通して聴いておくか」
~45分後~
「だ、だめだ・・・やっぱり、、、、、良い。このアルバムを葬ることなんて俺にはできない・・・(泣)」

そう、結局埋葬計画は失敗に終わったとさ。(h)

【イチオシの曲】The Court of The Crimson King
俺が「プログレ」と言うときに真っ先に挙げたいと思う曲がこれ。イントロからメロトロンを派手に鳴らし、まるでオーケストラが演奏しているかのような壮大な始まり方、そしてグレッグ・レイクの朗々とした歌声、静と動の融合、ラストはメロトロンの電源が突然切れて力尽きたような終わり方。俺は「21世紀の精神異常者」よりもこっちを断然推す。