2012年10月28日日曜日

ドナルド・フェイゲン / ナイトフライ


Donald Fagen / The Nightfly(1982年リリース)
①I.G.Y. ②Green Flower Street ③Ruby Baby ④Maxine ⑤New Frontier ⑥The Nightfly ⑦The Good Bye Look ⑧Walk Between Raindrops

音楽雑誌で名盤を紹介するとよく「何百回聴いたかわからない」という表現を目にする。若い頃はそんな大げさなと思ったが、40歳も越えてくるとその表現がいよいよ本当になってくるものだ。俺にとってはスティーリー・ダンの『ガウチョ』、そしてドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』の2枚がまさにそれで、毎年平均20回聴いているとして24年ぐらい、500回前後は確実に聴いていると思う。

『ナイトフライ』はスティーリー・ダン(以下SD)が活動停止をした2年後の1982年にリリースされた。SDと同じように一流のスタジオ・ミュージシャンを使い、ゲイリー・カッツがプロデュースし、ロジャー・ニコルスがエンジニアを務め、フェイゲンが歌う。当時その音ははSDそのものと言われていたし、確かに『エイジャ(彩)』や『ガウチョ』と聴き比べても差異はあまり感じない。唯一の違いはSDの楽曲の歌詞が持つ「毒」がないことだ。独特の皮肉だったり、捻くれた世界がここにはない。やはりウォルター・ベッカーがいてこそのSDだというのを改めて認識させてくれるが、先に述べたような一流の豪華ミュージシャンによる音ばかりに注目してしまうのは仕方が無いことかもしれない。

しばしばその音をして「都会の夜に似合う」とか「大人の音楽」と形容されているのを見かけるが、それは俺は違うと思っている。むしろ郊外に住む普通の若者のための音楽だと思う。なぜならブックレットにはフェイゲンによる言葉が添えられていて「このアルバムに収められている作品は、5~60年代にアメリカの郊外で育った若者が抱いていたある種のファンタジーをテーマにした」と書かれている。そして歌詞を見ても②では山の手の住宅街が舞台であったり、④では若い男女がSuburban Sprawlという郊外の住宅政策について意味を見出そうと話してみたり、タイトル曲の⑥は寝静まった真夜中にラジオから流れてくるクールなジャズとDJのしゃべりに身を任せている情景が歌われている。よくあるAORという音楽でイメージされるオシャレで煌びやかな都会の風景とはまるで違う。

このアルバムがリリースされてから30年以上が経つが、今でも聴き継がれているのはただ単に参加ミュージシャンが凄いとか、AORの名盤(そもそも俺はAORだなんて思ったことがない。ロック・アルバムだ。)だからという理由だけではないと思う。③のカバー曲や⑧が持つオールディーズ的な雰囲気や、そして哀愁漂う⑦などがいつ聴いても「懐かしさ」を感じさせてくれるからではないだろうか?「三丁目の夕日」なんて映画があったが、まさにアレみたいな感じと言ったら言い過ぎだろうか?俺は50年代に生きてはいなかったけど、このアルバムを聴くと時々そう思ったりするわけだ。で、矛盾してしまうが、その割にはこのアルバムに古臭さがないのはやはりその音の素晴らしさなんだと思う。ちなみに各曲に参加ミュージシャンのクレジットがあるが、ドラムは主にロジャー・ニコルズが開発した「ウェンデル2」というサンプリングマシンに録音した音をプログラムして使用していたらしい。だから①や⑤をよく聴くとそのリズムの正確さが目立っている。

ところで、SDのアルバムは本人たちによるリマスターがされているが、フェイゲンのこのアルバムは未だにリマスターがされない。一度は発売日までアナウンスされたにも関わらず幻となってしまっているのは何故なんだろうか・・・。SDのアルバムがリマスターされた時は、それまでのマスターとの違いにかなり驚いたから、期待し続けてもう10年以上は経つんだけど・・・・。(h)


【イチオシの曲】The Nightfly
アルバムのジャケットのラジオ局のDJに扮するフェイゲンとシンクロするのがこの曲。サビでラジオ局のジングルのように歌う"WJAZ"ってところが聴きたくてこのアルバムを何度も繰り返してしまう。ラリー・カールトンのギター・ソロも最高。この曲から次の"The Goodbye Look"への流れがアルバムのハイライトだと思う。

2012年10月21日日曜日

ザ・スタイル・カウンシル / カフェ・ブリュ


The Stlye Council / Cafe Bleu(1984年リリース)
①Mick's Blessings ②The Whole Point Of No Return ③Me Ship Came In! ④Blue Cafe ⑤The Paris Match ⑥My Ever Changing Moods ⑦Dropping Bombs On The Whitehouse ⑧A Gospel ⑨Strength Of Your Nature ⑩You're The Best Thing ⑪Here's One That Got Away ⑫Headstart For Happiness ⑬Council Meetin'

1984年当時、ポール・ウェラーとミック・タルボットがロードバイクでひたすら走っている"My Ever Changing Moods"のプロモーション・ビデオを何度も見た記憶がある。同じような経験は俺と同年代の人に多いことだろう。当時は新人ミュージシャンなのかと思っていたが、スタイル・カウンシルはザ・ジャムを解散させたポール・ウェラーが次に組んだバンドだった。

20歳の頃、当時付き合いのあった友人の家に行って酒を飲むと、ビートルズの話から始まり、スタイル・カウンシルの話で終わるということが度々あった。ジャムではもはや表現できなくなった音楽をやるためポール・ウェラーが次に始動したのがスタイル・カウンシルで、音楽的に変化はあってもウェラーの主張や怒りはジャム時代となんら変わっていないと、奴は何度も力説してくれた。その頃スタイル・カウンシルは落ち目のころで、初期を「オシャレ」と言って聴いている奴ら(特に女)が気に入らない、だったら『コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ』も聴けよとくだを巻いていた。そう言われると確かにスタイル・カウンシルを「オシャレ」な音楽としてもてはやす風潮があったし、当時の同じクラスにいた女も「オシャレで最高」とケタケタ笑いながら言ってたことも思い出した。奴と疎遠になってしまってから俺はようやくこの『カフェ・ブリュ』を聴いた。だがしかし2回か3回は聴いたものの、俺にはどうも馴染めないものだったことを知った。どう攻略すればいいのか分からなかったのだ。奴に教えを請いたいと思ったぐらいに。

アナログでのリリース当時は①から⑦までがA面にあたるのだが、このA面が俺には曲者だった。①はタイトルどおりミック・タルボットによるピアノによる小品、③はカリブっぽいジャズで、④はムーディなスロー・ジャズのような曲、⑦はハードバップ風と、4曲がインストゥルメンタルで、②⑤⑥のヴォーカル曲もいまいちつかみ所がなかった。⑤などはエヴリシング・バット・ザ・ガールのトレイシー・ソーンが歌っているからなおさらに。そして致命的なのが⑥だった。中学生の時にPVで見た軽快な曲ではなく、ピアノの弾き語りという、言うなれば別バージョン。B面にあたる⑧以降はラストを除いてはヴォーカル曲ではあったが、前半の幅広すぎる音楽性に戸惑ってしまった俺はこれを克服するのに15年ぐらいかかってしまった。アルバムのジャケットとこれらのジャズやソウルをベースにした音楽性は「クール」というに相応しく、それが当時は「オシャレ」という表現でスタイル・カウンシルはその出だしから日本では好評だった。俺の記憶では2枚目の『アワ・フェイバリット・ショップ』の頃が最もオシャレと言われていたんじゃなかっただろうか?なお、このアルバムの前には"Introducing"というミニ・アルバムが出ているが、これは『カフェ・ブリュ』の前に出ていたシングルなどを集めたもので、イギリス以外の国で出たものなので1stアルバムとはカウントしていない。そう、スタイル・カウンシルはシングルとアルバムは別物というスタイルをとっていて、だから⑥もここではピアノの弾き語りなんだなと今では納得してしまう。

しかしこれじゃまるで俺はこのアルバムをけなしているかのようだが、まったくそうではなくむしろ好きなアルバムである。90年代にもなるとクラブ・ミュージックが台頭しはじめてきて、ジャズやブーガルー、ラテンなどをミックスした音源がいくつも出てきたが、そういうのを通過してきた後に『カフェ・ブリュ』を聴くと、これはそれらの先駆けのように思える。当時のポール・ウェラーの佇まいなんかも後の日本の渋谷系の連中も影響うけてるだろなんて思ったりするし、つまり今こそもっと再評価されてもいいんじゃないかと思っている。今では80年代は嘲笑の対象となることが多いが、お前らしっかり影響されてんだよとも。

ポール・ウェラーの最も尖がっていた時期はスタイル・カウンシルの頃だ。世界中の音楽に目を向け取り入れようとする挑戦もしていたのに単なる「オシャレ」という言葉で片付けてる奴らは何も聴いちゃいない、俺の当時の友人はそんなこともよく言っていた。お互い学校を卒業してからは疎遠になってしまったが、いま奴はどこで何をしているんだろう?今も誰かに同じようなことを話しているなら俺は安心だけどね。(h)

【イチオシの曲】You're The Best Thing
個人的にはこのアルバムで最も安心して聴ける曲。というのも、スタイル・カウンシルのイメージが俺の中ではこの曲に集約されているから。これと⑥のシングル・バージョンがイメージを決めてしまったからアルバムで大いに戸惑ったに違いない。

2012年10月14日日曜日

ホール / プリティ・オン・ジ・インサイド


Hole / Pretty On The Inside(1991年リリース)
①Teenage Whore ②Babydoll ③Garbage Man ④Sassy ⑤Goodsister/Badsister ⑥Mrs. Jones ⑦Berry ⑧Loaded ⑨Star Belly ⑩Pretty On The Inside

イントロもなく「私が十代の娼婦だった頃~」なんて歌い出す①から始まるこのアルバムを作ったバンドの名前はホール、もちろんその意味するところは「穴」である。その見た目も、その歌声も、その演奏も、決して褒められたものではない。フロントに立つコートニー・ラヴは、ステージでPAに片脚を乗せ大きく股を開き、ギターを掻き鳴らし、喚くように歌う。ただただ下品である。

ところで、'Whore'って単語の日本語訳が娼婦、売春婦とか売女ってのはちょっと古いというか昭和臭がするというか。ヤリマン、ビッチ的な意味なのか、あるいはお金を稼ぐという意味では援交、ウリとか。もう少しサーヴィスが具体的ならデリヘルとか。「十代の○○」って言い回しも日本語だとあまりしないような。「私が援交してた十代の頃~」って少しでも違和感のない日本語になるようにと工夫してみたが、なんかしっくりこない。

閑話休題。

ニルヴァーナのカート・コバーンの名声を利用してのし上がったと思われている節があるコートニー・ラヴ。しかし、ニルヴァーナが『ネヴァーマインド』でブレイクする前に発売されたホールの1stアルバムのプロデューサーには、なんとソニック・ユースのキム・ゴードンと、ザ・ヴェルヴェット・モンキーズ、B.A.L.L.やガンボールのフロントマン、ドン・フレミングが名を連ねている。つまり、この時点ではニルヴァーナよりもホールの方が有望視されていたことが容易に想像できる。あれ?何のエクスキューズにもなってないか?

余談だが、ドン・フレミングがプロデュースした作品には、ティーンエイジ・ファンクラブの『バンドワゴネスク』、スクリーミング・トゥリーズの『スイート・オブリビオン』、ザ・ポウジーズの『フロスティング・オン・ザ・ビーター』なんていうのがある。なんとまぁ俺好みなこと!

閑話休題アゲイン。

さすが二人もプロデューサーが付いてるだけあってかそれぞれの曲にはフックがありアルバムの構成もしっかりしたモンです。③や⑤あたりのちょっと引きずるようなサウンドとメロディが個人的には好き。シングルカットされた①は英国のインディ・チャートで1位を記録しているが、コートニーの個性的なヴォーカルと赤裸々な歌詞以外は平凡な気がする。そんな中で注目すべきはノイズとサウンドコラージュで構成される実験的な⑨。2分にも見たない曲ではあるが、曲の終盤に挿入される「ベスト・サンデイ・ドレス」のメロディがたまらなくカッコイイ!この曲はもともとコートニーがベイブス・イン・トイランドのキャット・ビーエランドと組んでいたバンドの音源のようで、後に3rdアルバム『セレブリティ・スキン』製作時に改めて録音されたものよりもこの初期のバージョンのほうが好みなんだなぁ。

とまぁそんなカンジで、ホールに関しては2ndアルバム『リヴ・スルー・ディス』だけ聴いとけば良いんじゃないかなぁ。この『プリティ・オン・ジ・インサイド』は、決して人には勧められるような作品じゃあないことだけは確かです。でもね、俺は大好きなんですよ、このアルバム。

P.S.
ニルヴァーナとホールの両方に興味があるなんて人には、幼少のカート・コバーンがジャケットを飾る『ビューティフル・サン』ってシングルを是非聴いて欲しい。入手は困難だと思うので、『マイ・ボディ・ザ・ハンド・グレネード』って編集盤をどうぞ。幼少のカートのジャケットはググって探して見てみてね。

あともうひとつ書かせて。ソースは失念したが、コートニーが「ミート・パペッツの曲をカートが歌うとそのメロディの良さが分かる」という旨の発言をしていたと記憶している。全くその通りで、後にカート・コバーンの手による曲だとバレてしまった「オールド・エイジ」や、ニルヴァーナのセルフタイトルのベスト盤『ニルヴァーナ』で世に発表される以前にホールがMTVアンプラグドで歌った「ユー・ノウ・ユーアー・ライト」なんて、コートニーが歌うとそのメロディの良さが全て台なし。

でもね、俺はホントに大好きなんですよ、ホールってバンド。(k)

2012年10月7日日曜日

ブロンディ / 妖女ブロンディ


Blondie(1976年リリース)
①X Offender ②Little Girl Lies ③In The Flesh ④Look Good In Blue ⑤In The Sun ⑥A Shark in Jets Clothing ⑦Man Overboard ⑧Rip Her To Shreads ⑨Rifle Range ⑩Kung Fu Girls ⑪The Attack Of The Giant Ants

まだ俺がハタチにもなっていなかった25年ぐらい前、テレビの深夜番組で女性のアマチュアバンドのことを取り上げた番組をたまたま見ていて彼女たちの練習風景が流れた。そこで演っていた曲がブロンディの「汚れた天使(⑧)」だったのだが、それを見て俺は嬉しくなった。当時、世間では(最近再結成もした)プリンセス某というグループが女性による「ロックバンド」とかもてはやされていたことに嫌悪感を抱いていたのと、一方でアマチュアのバンドがブロンディのどちらかというとダーティなイメージのある曲を演っていたという事実にほくそ笑んだのだ。ちなみにそのバンドは当時俺よりも年上の人たちというか、30代の人たちだった。そりゃブロンディを演るよなと納得した。

ブロンディはニューヨーク・パンクのシーンに登場したが、テレヴィジョンやパティ・スミスのようなアート的な佇まいも無ければ、ラモーンズやリチャード・ヘルのようなパンクらしさも無い。どちらかというとポップなイメージが強く、それが功を奏して彼らニューヨーク勢の中で最も商業的に成功したグループとなった。「ハート・オブ・グラス」や「コール・ミー」などのヒット曲からはディスコ・ミュージックの印象を与えるが、彼らの音楽の下地となっているのは60年代のガールズ・ポップやサーフ・ミュージックだと思う。彼らの初のシングルとしてリリースされた①を始めとする11曲はどれを聴いても60年代ポップスへのオマージュのように聴こえるし、キーボードは時折ザ・ドアーズを思わせる部分もある。そんな中で③のようなうっとりする曲はこのアルバムだけ見るとある意味異色かもしれない。何せ後半には「戦え、カンフー・ガールズ」と邦題のついた⑩や「恐怖のアリ軍団」という邦題の⑪なんかも含まれているから。

さて、ブロンディといったらやはり紅一点のデボラ・ハリーのことを書かなくてはならないだろう。70年代後半のセックス・シンボル的存在にまでなった彼女はブロンディでデビューした時にはすでに31歳だった。俺もここ10年ぐらいの間に知ったのだけど、彼女はブロンディ以前にも音楽活動をしていて、60年代後半にはザ・ウィンド・イン・ザ・ウィロウズというグループに参加していてアルバムも出していたそうだ。それだからかだろうか、俺はずっとブロンディでの彼女はガールズ・バンドのようなキャピキャピしたイメージがまったく無く、肝が据わっているような印象を受けていた。ザ・ウィンド・イン・ザ・ウィロウズというバンドは商業的な成功は無く、彼女はウェイトレスのバイトをしながらひたすら機会をうかがっていたそうで、これはあくまでもイメージだが、ブロンディを結成した時には何でもやるわよ!という勢いがあったんじゃないかなと、今はこのアルバムを聴くとその種の気負いを感じることがある。まあ考え過ぎかもしれないけど。

余談だが、最近車のCMで「ハート・オブ・グラス」が使われていて、俺も何気なく自分のブログ「トーキョーオンガクサイト」でそのことを書いたのだけど、その記事へのアクセスがものすごく多くてビックリしている。しかしそれはすなわち、ブロンディの楽曲が今も十分アピールできるものであって、多くの人を惹きつける魅力に溢れているものなんだろうと思う。そういえば俺だって今でも昔と同じような気持ちで彼らの曲を聴いているし、古臭いと思ったことがないからね。

そんな中でもこの1st『妖女ブロンディ』は60'sポップスと現代を繋ぐパイプ的な1枚でもあると勝手に思っている。俺は今はアナログしか持っていないから、最近はちゃんと聴いていないんだけどね、実は・・・。(h)

【イチオシの曲】Rip Her To Shreds
ガールズ・バンドには是非カバーしてほしい曲。この下品さが出せれば最高だよって思う。昔、外国人の先生から、親しい仲間を呼ぶ時にいちいち名前を呼ばずに「プスー(PSSSSS!)」と空気を吐き出すようにして音を立てるって聞いたことがあって、この曲の冒頭の「ヘイ!プスプスッ!ヒーシカムズナーウ」の「プスプス」ってそういうことかと思った時にちょっとした世界観が広がったと思った19歳の頃を思い出してしまうんだよなw